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はじめまして、私がこの度ヘンニィと共にフィリピンに移住を決めた夫の水野達夫と申します。
1952年東京生まれの横浜育ちです。
中央大学卒業後、流通関係の仕事に6年間携わりその後17年間2001年の1月まで某企業の人事教育担当をしておりました。
会社や仕事には、不満はありませんでしたが、40歳を過ぎたころから中途採用で面接させていただく方々の話や日本経済や会社の状態から将来の海外生活を考えるようになりました。
日本で仕事をしていた妻の叔母の紹介でヘンニィと出会いその夢はより現実的となりました。
1995年から妻と会うため、またフィリピンを知る為にフィリピンに出かけるようになりました。しかし、サラリーマンの身で長期休暇は余り取れず、いつも2泊3日や3泊4日といったショートステイを繰り返しました。
その回数は3年間で55回を超え、おかげでJALのグローバルメンバーになれたほどです。

私の場合、妻がフィリピン国籍であるので日本人のご夫婦でリタイヤしてフィリピンに永住するのと少しわけが違います。
出来るだけ、フィリピンに足を運び、フィリピンという国の情報に加えて自分の目で妻の家族の経済的状況や人柄を把握しなければなりませんでした。
すべての行動が自己責任となる以上、フィリピンへ行ったら頼りになるのは、自分と家族だけです。日本ではできた「失敗したらやり直す」はフィリピンでは出来ないと考え、より慎重に情報集めに徹しました。
平成10年に他界されましたマカティで焼肉レストランを経営されていた「さくら」の菊池武様や大先輩である小松崎憲子様には生情報をたくさんいただき心より感謝いたしております。
また、ホームページで情報を提供してくださってる竹内様や鈴木様その他多くの方々に勇気づけられました。

そして、結果的には、他の永住されている日本人の方々と同じように、気候、日本からの距離、物価、金利、言葉、食事、インフラ、日本人への応対、フィリピンの家族の状況などから、総合的にフィリピンが大好きになったのです。
特に、他国ではなかなか味わえない日本人を優遇してくれる現実的な状況、心から家族を大切にする日本ではなくなりつつある状況がしっかりとあること。貨幣価値の格差で日本円での蓄財が有効に活用でき、計画をしっかりすれば、一生生活が可能と判断できたことなどが上げられます。
そして、私の場合、何より自分と家族の事だけを中心に生活できることと、会社で働く以上必ず付きまとう組織のなかでのストレスから解放されることの喜びを実感できたことです。



サラリーマンは健康であればそのほとんどの人がオギャーとこの世に生を受けて成人する20年間以上の長い年月を会社を離れて第二の人生として生活しなければなりません。
できるものなら、元気なうちにとサラリーマン現役生活を残して決心しました。
フィリピン国への移住が目的で妻と結婚したわけではないので、この結果に、妻との出会いを神に感謝しています。
妻を日本に配偶者として招聘し、その後、妻も多くの日本人に差別なく親切にされ、子供も授かり、日本語の勉強をしながら近くに仲良くしてくださる、日本人家族との交流を通じ、大変満足した生活を送っておりましたので、妻は当初、自分の国でありながら、移住計画には反対し日本での生活を希望しました。
日本での不満は唯一、私の仕事の帰りが遅いのと休日出勤や地方出張が頻繁にあることぐらいでした。
妻自身が仕事をし、フィリピンにいる家族に仕送りをしているわけでもなく、なぜ、日本にこだわるのかを話し合ったところ怒りながらこう言いました。
「すべてのフィリピン人がお金を本国に送金する為にきているのではない、生きた日本語の勉強や四季折々の変化の美しさを楽しむ日本大好きなフィリピン人だっているわ」
ということでした。
この言葉で、私は、移住計画をすこし遅らせることにしました。

その後、さらに日本経済が厳しい段階に突入し私自身も職務範囲を狭まれたりして、元気のない姿を見るにつけ、家族との幸せを一番に考える妻が考え直し、3年間の事前計画をたて、2002年2月の移住となったのです。
妻は日本に来てから、スキューバダイビングや旅行を通じ、多くの友人をつくりました。

このホームページは、そんな方を中心とした多くの善良な日本人との友情を保つために、何か出来ればという妻の気持ちで作られました。
今度は、私が反対しましたが、私が当初ヘンニィに反対した理由は大きく分けて二つありました。
@自分の日本脱出成功や住めば都的な感覚を押し付けているようで気恥ずかしいことや、照れくさいことがあったこと。
Aお金をお支払いいただく以上、クレームなどがあった時、家族全員が嫌な思いをするという懸念があったこと。ですが、ヘンニィは
@なぜ自分が上手くいったことをアピールしないの?アピールしたあとそれを良いこと、悪いことと決めるのはお客様でしょ!と気恥ずかしい照れくさい、押し付けるといった感情はわからないようでした。
Aもし、クレーマーであったらお金を返せばいいんでしょ!とトラブルの後に残る、尾を引く精神的な苦痛は理解しませんでした。
ヘンニィの根底にある考えは次のようです、
自分が日本に行く前に日本在住の経験のあるフィリピン人男女数人に日本人や日本の話を聞いた時、ある人は、日本人はお金持ちだけどうそつき、ある人はやさしいけど金払いが悪い、勉強や研究熱心、仕事もしないし怒りっぽい日本は街はきれいだけどスモッグが多い、きたないけど、静か、日本は暑くてフィリピンと同じ、さむくて嫌だ、過ごしやすい等など様々で混乱したようです。もちろん話をしてくれた人は「私の知っている」というつもりだったようですが、皆それぞれ得意そうに何時間も話をしてくれるのですが日本を正確に知るにはほど遠かったようです。

フィリピンは多重社会でもあり日本人がフィリピンを知る上でヘンニィの逆パターンがあったら大変だと考えているようで、もちろんフィリピンを話す日本人も「私の知っている」という枕詞をつけての話だとは思いますが、自分の目で確かめないフィリピンを本当のフィリピンと理解されることには納得がいかないようです。親切にされた日本人との友好を保つと同時に自分の目でフィリピンを理解してほしいというプライドがあるのかもしれません。
ヘンニィは日本滞在時に鹿児島の指宿にも滞在し畑の大根掘りをし、その地のお祭りに参加したり近所の人の鹿児島弁を聞いたりしました、また、自分の目で百貨店やスーパーCVSの値段や接客の違いを知り、ダイビングクラブや子供のスイミングスクールで母親たちや職種の壁をこえたいろいろな方からの話も聞き、自分なりに日本を理解したようです。
言葉の壁を乗り越え、目や肌で感じることを大事にしているようです。当時の行動は勢いがあったのを覚えています。

来日当初、すぐ消えてなくなる花なのに、桜を日本人の多くが好きなのは、その花の下だとお酒が飲めるからだと思っていました。
しかし、桜の花を手にとって、ひとつの花のきれいさを知り、それが木全体で美しさを増し、数本数十本と重なると力強さを加え、さらに輝きを増し、そして役目が終わると跡形もなく潔く散ってしまうことを知ったあと、さすがに「日本人の武士みたい」とは言いませんし、そんな花と日本人とをどう結びつけているのかは、よくわかりませんがほんの少し自分なりに来日当初とは違う日本人が桜を好む理由を感じとったようです。

人間は異国に行き、ホテルのような歓迎の環境ではない一般生活の場に投げ出されると本質を知ろうとする感受性が増すのかもしれません。
ヘンニィはいま、日常生活に追われ、昔の感受性は無くなったような気がします、今度は私が頑張らないといけない番になりました。

日本人大好きの妻の強い意志に説得され日本から比較的近い南国フィリピンでリフレッシュをお考えの方や、将来海外移住を考えている方などが訪問していただけるならば、日本人夫婦ではないだけに、よりフィリピンの正しい情報のご提供やエキサイティングな経験ができると考えスタッフとして真心込めてお世話と応援をさせていただくことを決心しました。
 
 


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